塾長のむだプロフィールです。

ここは生徒向けの言葉で書いていますので、その旨ご了承くださいね。

 

プロフィールっていうほどのこともないのですが、大学はとりあえず近くの筑波大に通っていました。

塾生や卒業生の皆さんは知っていると思いますが、当時TXがなく家から楽に通えるところにしよう、と

いうことでそこにしたわけですから、今の時代であれば同じ選択をしたとは限りません。

筑波大は研究者や先生になりたいなら悪くないですが、一般企業に就職したいならそっち方面の授業

や指導に欠けるとことがあるので、通塾生のみんなが目指すのはよく考えてからにしてくださいね。

(私自身はそういう大学の方針が好きなので気に入っていますが、万人向きではないと思います。)

そこの理系で4年勉強した後、大学院で2年勉強してきました。専門は地震関係の研究です。

 

理系出身ですが、国語や社会の方が強いかも・・・。(というより、理系には理系科目の成績上位者が集

まるので、高3の模試になると文系科目の方が高い偏差値を出しやすいのですよね。)

 

プライベートはことはあまり書かない主義なので、ちょっとだけ。あまり真面目な話だと飽きちゃうからね。

昼間仕事していないときは何してるんですか?という質問を時々受けるのですが、NFL・MLBあたり

スポーツ観戦と、将棋中継観戦が好きです。何時間も(将棋の)同じ局面を見るのって楽しいんですが、

なかなかそこまで時間が取れません。

好きな音楽はX-JAPANとかSONATA ARCTICA(初期の)とか陰陽座とかスピッツ(昔の)とか・・・。

好きな曲はART OF LIFE(X-JAPAN)とかFOREVER LOVE(X-JAPAN)とか楓(スピッツ)と

ですね。最も印象に残ってるのは2002年のYOSHIKIさんの国際フォーラムでのコンサートですね。

クラシックっぽい感じの構成で、やっぱりライブはいいなーって再認識したものです。

2019年くらいから凛として時雨にはまりました。EGOISTもなかなかいいなーって思います。

 

塾での指導経験は結構長いです。18歳のときからある進学塾でバイトしていて、(早生まれなので大学

1年のとき18歳)かなり多くの授業を受け持っていました。週6~週7ペースでやっていたからね。なんで

そんなにやってるの?っていうつっこみもあるかもしれないけど、私のいた教室は最盛期には中3だけで

100人以上の生徒がいたのです。ちょっとした学校みたいな感じですね。中学受験と高校受験をやって

いる塾だったので、小6や中3の授業を簡単にほかの先生に受け持ってもらうわけには行かず、ほとんど

全部の受験クラスを受け持っていたので、それには週6か場合によっては週7じゃないといけなかったの

です。だから、もうこの仕事を20年くらいやっていることになります。(←進学塾だって休日あるでしょう?

って思う方もいらっしゃるかと思います。私の働いていた塾は毎週金曜日が休みでした。でも、中3が

100人以上いた関係で、その金曜日も開かないと教室が足りなくて授業を組めない事態になり、本部に

特別な申請をして金曜日も開けていたのです。)

自分の指導経歴を細かく書くのはあまり好きではないのですが、2014年に文部科学省から塾の指導者

指導経歴をはっきりさせてください、みたいな指針が出たらしいので、一応書いておきますね。自分が勤め

ていた大手塾ではかなり多くのクラスを受け持っていて、小4・小5・小6の算理(中学受験クラス)と、中1~

中3の数理を中心に指導していました。勤務していた教室においては一番多くの時間、授業を受け持って

いた時期がわりと長くありました。

 

昔は出身高校とか出身大学とかを言わないようにしていました。それは受験指導のときに自分の出身

だから勧めた、と思われるのを避けたかったからです。でも、今はいろいろなつながりで知っている生徒

多いと思うので、書いておきますね。高校は土浦日大で、特進コースというところにいました。今で言うと

スーパーハイクラス程度の学力でしょうか。

 

生徒E「せんせー、きいてもいい?」

塾長X「いいよ、何かな?」

生徒E「塾って、会社で失敗した人が開くことが多いって聞いたんですけどww」

塾長X「よく知ってるなw そうだよ。だから、きちんとした会社に就職するか公務員さんになるなり、資格が

     取れる看護師さんなりを選んだ方がいいって、いつも言ってるじゃない。」

生徒E「先生も会社辞めたんですか?」

塾長X「大胆なことを聞くねぇ。辞めてないよ。僕は大学院の修士課程を出て就職しないでそのまま光星を

     はじめたからね。」

生徒E「どうして就職しなかったんですか?」

塾長X「いくつかの大手企業が候補になっていたんだけど、当時のルールだと(関東限定とかの)エリア勤

      務がなくて、若いうちは全国、場合によっては外国で勤務しないといけなかったんだ。僕はそれが

     あまり好みではなかったの。それに当時、勤めてた塾では僕がその教室で一番多くの授業をした

     講師になってたからね。塾開いてすぐにでも授業をやれるくらいの自信はあった。」

生徒E「どれくらいの授業をしていたんですか?」

塾長X「小6と中3の受験クラスの理科と算数と数学と、小5の中学受験クラスの理科と中2の数学と理科と

     中1の数学と理科とか・・・・・・」

生徒E「そんなにあるのかw で、バイト料ってどれくらいでしたか?」

塾長X「そこ聞くの?w まあ、いいや。これから大学に行ってバイトするって言ってる塾生もいるから書いて

      あげるよ。」

塾長X「大学2年からは少ない月でだいたい20万くらいかな。夏は1か月40万円くらい。」

生徒E「えっ、そんなに?」

塾長X「うん。もちろんお金も必要だったけど、やると生徒に愛着も出てくるし、責任感っていうものもあるから、

     大事な受験生はほかの講師に簡単には任せられなくなるんだよね。生徒も講習で先生があんまり変わ

     ると学習パターンが崩れるし。ただ、バイトが良いというわけじゃない。僕みたいに将来の仕事にするな

     らそれでいいけど、大学生は大学の勉強が大事だからね。昔は授業に出なくてもテストで点数取れば

     OKだったんだけど、今はきちんと出席しないと単位をもらえない。だから、そんなにバイトしてたら卒業

     できなくなるかもしれない。Eさんはちゃんと勉強するんだよ。」

生徒E「はーい。」